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すり身工場

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アズールとアズールの話 その5

五回目です。

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多分今回がこの漫画で一番地味なところだと思います。
地味に怒涛のモノローグ回。

小アズールは本編アズールに比べて内省的というか孤独に慣れてる感じにしておりますが、
アズールは本来人の中にいたい人なんだろうと思います。
本編アズールの生育暦を鑑みるに、彼は戦乱の中で生まれ、クロム死亡・ギムレー復活後も残された親世代はギムレー/屍兵との戦いを継続していたと思われます。
ということは親と一緒に子世代の面々もわりと一緒に育ったのかなと。
親死亡後も明確な敵がいるので本編アズールは当然のように戦いに身を投じます。
本人の弁の通り、明確な敵がいる社会では、それを倒せる存在であれば、どこに行っても歓迎されるので、戦いは過酷であっても人に拒絶されることなく生きていくことができます。
つまり本編アズールは絶望の未来で親と死に別れても友達がいて、どこに行っても人の輪から外れることはなかったのかなと。

一方、今回の設定のように疫病が猛威をふるう世界では、「よそ者」は排斥される傾向にあります。
キャラバンの踊り子というのはもともと流浪の民をイメージさせますが、
大量死の時代に踊りの意義が先祖返りというか、歌舞集団が葬送儀礼を司るようになると、
彼らは一種の不可触民化していったと思われます…じゃなくてしていったという設定にしました。
踊り子のキャラバン=死の儀礼と死体を扱う専門職 という感じで。
彼らはどの村や町に行っても死と病をもたらす者として中には入れず、街壁の外で死者相手の仕事をしていたのかなと。
さらに小アズールは戦いが終わった後で生まれたので、他の子世代とは密な交際もなく育ってきたという設定であります。
つまり母親とキャラバンの人たちが死んだ時点で小アズールは友達も頼れる人も共同体もなく、町や村人に温かく遇された経験もなく、人の中にいるということをあきらめざるを得なかったのかなと。
そういうわけで、小アズールは生者より死者のほうが身近な感じの子供にしております。

毎度設定語りをやっておりまして、作品ですべて語れよと思う向きには鬱陶しいと思いますが、癖というか性癖というか、つい言ってしまう言い訳のようなものであります。

言い訳の蛇足。
イーリスはキリスト教でもないのに今回の墓標に十字架形ってのはどうかと思いましたが、
パッと見のわかりやすさでこうしましたです。


拍手ありがとうございます!生きる糧です><

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